3,治療は「手当て」に始まる
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3,治療は「手当て」に始まる
今も昔も、人が病気をしたり、ケガをすると、実際には患部に手を当てたりしないにもかかわらず、一般には「治療」という言葉よりも、「手当て」をするという言葉が使われるのはなぜでしょうか。
人は誰でも、頑が痛ければ頭に、足が痛ければ足に、必ず「手を当てる」はずです。
理屈ではなく、痛みのあるところ、ケガをしたところに自然と手が動いていって、その部位に手を当てるようになっているのですから、本能的なものだといえるでしょう。
犬や猫でさえ、ケガをしたところを、舌で念入りになめて「舌当て」?をします
人間の場合でも、いうまでもなく、ケガなどした場合、文字どおりスグにも「手」を当てて出血を止めなければ、出血多量で死んでしまうかも知れません。
そのように大切な「手当て」ですが、直接目に見える「手当て」のほかに、「手を当てる」ことには、目に見えない重要な働きがかくされているのです。
その昔、釈迦やキリストが、病める人たちに手を当てたり、手をかざしたりすることで病人を救ったという話が仏典や聖書に伝えられています。
また、最近のブームの「気功」などでも、目に見えないパワー、つまり「気」が「手」を通して相手に伝わっているわけです。これらを奇跡のように思う人もいるようですが、必ずしもそうではありません。
「手」にはもともと、物をつかむとか、物を作るなど、目に見えて分かる働きのほか、その人の素質や、習練の程度によって違いがあるものの、目に見えない別な力が秘められているのです。
現に、私たちの身近にもそれに近いことがおこっているのですが、気がつかないでいるだけだと言えるのです。
赤ちゃんには肌と肌のふれあい、つまり「スキンシップ」が欠かせないとか、赤ちゃんが転んで泣いているとき、お母さんが、その打った部分を「痛くない、痛くないー⊥といいながら、手で何回かなでてやっていると落ち着いてくるなどが、その例です。
「そんなこと気のせいだよ」と否定される方があるかも知れませんが、まさにおっしゃるとおり、目に見えない「気」が働いていることを認めないわけにはいきません。
ご承知のように、人間の身体には弱い電流(生体電流)が流れていて、心電図や脳波の検査などにも応用されています。
この生体電流を発見したのは18世紀の生物学者、ルイジ・ガルバニですが、私たちが健康な時は、細胞の内外でプラス、マイナスの電気バランスが維持されています。
しかし、打撲、ケガなど、いったん身体に異常がおきると、その部位の電気バランスが崩れて、片方のイオン (帯電した原子) が蓄積され、痛み、腫れ、発熱など病的症状がおこります。
これに対して患部のイオンのバランスを、電気的に正常化する方法をとると、病的症状が軽減されることが解明されています。そして、その異常を正常化する方法はいろいろとあるのですが、いちばん私達の身近にあって、とっさの場合、誰にもすぐにも使える効果的な手段が、実は、患部に「手を当てる」とか「手でなでる」「手で押す」ことなのです。
偶然なのか、道化の妙なのかは知りませんが、とにかく、人間の手には、その人によって、強い、弱いの差はあるものの、目には直接見えない、生体電流の作用を含む、秘められた「パワー」があることは否定できません。そしてその「パワー」が人並みはずれて強い人がいた場合には、「奇跡」 の人とみられるわけです。
ところで、そのような強烈な「パワー」を持たない、ごく普通の人であっても、「手を当てたり」「手をかざす」代わりに、「手」で患部を「押したり、操んだり、なでたり」する「手技」を加えれば、「病気」を治せることになります。
昔の人が、手で「押す、操む、なでる」という「手当て」をくり返しているうち、数多くの経験から、どの部位を、どのように刺激すれば、トラブルを治せるのかを知った結果、効率的、効果的な方法(手技)が考えられ、体系化されたのが按摩、指圧、マッサージだともいえるでしょう。
さらには、人体の表面には、目には見えなくても、そこを指で押す(按摩など)とか、もぐさに火をつけて皮膚上で熱を加える(灸)、金属の針を刺す(針)、などの「刺激」を加えると、治療効果がみられる特定の「ツボ」があることに気づきました。
その「ツボ」と「ツボ」を結んでいるのが「経絡(けいらく)」というもので、東洋医学での循環系とでもいうべきものですが、もちろん西洋医学のそれとは一致するものではありません。
このように長い年月をかけ、たくさんの先人たちの「手当て」の体験の中から見つけ出された多数の「ツボ」は、民間療法として単独、または複数のツボを用いて対症療法的に伝承されてきたのです。
その一方で、それらのバラバラの「ツボ」は古代中国の哲学理論である「陰陽五行説」(いんようござょうせつ)で理論づけされて、東洋医学独特の、専門家でも覚えるのに容易でないという「経絡理論」が組み立てられました。
ごくごく大ざっぱに説明すると、次のようになります。
まず、自然の中に生きる人体の営みは自然の法則に合致すべきものと考えることを基本に、肝、「陽」とします。
心、牌、肺、腎の五臓は「陰」で、胆、小腸、胃、大腸、膀胱の五腑をこれに心の臓を包む心包と、三つの熱源を意味する三焦を加えて、一般に知られている五臓六腑とか五臓五肺ではなく、六臓六腑の存在を考えるのです。
そして、この六臓六腑が正常に働くためには、それに東洋医学独自のエネルギー「気・血」(き・けつ)を供給する循環系があるとし、これを「経絡」(けいらく)といいます。
「経」は身体を縦方向に流れる主脈でそれぞれ六臓六腑に所属し、これと関連しながら全身の体表を循環するもので、それぞれ手の太陰肺経、手の陽明大腸経などと臓腑の名前をっけた正経十二経があり、「絡」とは経脈から横にわかれていく支脈をさします。
このほか、正経の間のエネルギーの調整役をする「奇経八脈」の中で、身休前面の任脈と背面の督脈の二つを加えて「十四経絡」といいます。
この経絡上に「経穴」(ツボ)が並ぶことになりますが、これを鉄道にたとえると、線路は経絡、その上にある駅は経穴(けいけつ=ツボ)に当たります。
線路にも、駅にも異常がなければ、電車はダイヤどおり動きますが、どこかの駅とか踏切でいったん事故がおきると、その場所だけでなく他への影響は避けられません。
そして、事故についての情報の窓口は駅になるのと同様、ツボは身体の変調を診たり、治療をする窓口にもなるのです。
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