私は先天性魚鱗症紅皮症という病気を持っている25才の女性です。
この病気は全身の肌がカサカサとしていますが、アトピー性皮膚炎とは症状が違います。冬は少しでも風に当たると、手にひびわれがきれてきます。小学生の頃から風邪を引くようになりました。夏は、汗が出にくいので暑いところにいると、体の中に熱がこもってしまい、体温が直ぐに上がってしまいます。暖房で暖かくなったり、夏は気温が暑くなってくると、顔がリンゴのように赤くなってしまいます。
私は、家の近くの助産所で生まれましたが、先天性の病気で2600gと小さく産まれてということで、安城の八千代病院で半年入院していたそうです。生まれたときから酷かった目の病気を2才頃に、東京の北里大学病院で手術をしました。目の手術といっても目が悪いのではなく、まぶたの手術です。健常者と変わらないくらいよくなったとはいきませんが、「もっとひどかったけれど、前よりも症状が軽くなったんだよ。」と母が教えてくれました。保健婦さんのすすめで、4才から病気の子供達が通う施設へ、2年間通いました。
小学校も、普通の学校へ私を入学させたら、いじめられるいう両親の考えもあって、小、中、高まである養護学校へ入学しました。心臓病、気管支喘息、心身症などさまざまな病気を持っていますが、普通校と同じように、とても明るく、元気で、外見では病気を持っているとは思えないほどです。でも、私は外見だけで判断されてしまい偏見な目で見られていました。そんなみんなの言葉や態度が気になってしまい、明るく振る舞おうと思って始めの1歩が踏み出すことが出来ず、6年間が過ぎたように思います。
小学校2年生の時の担任先生のすすめで名古屋大学病院へ両親に連れられて、通院していました。4年ほど通院していましたが、症状が良くならないので自然に通院しなくなりました。
中1の入学式の時に、初めて私に声をかけてくれた女の子がいます。それから、小学生の時よりは、少しずつ明るくなっていたように思います。でも、みんなの私に対する態度や言葉が気になってしまい、積極性には欠けていたと思います、友達も少なく、話すことも余り無かった私ですが、先生方はとてもやさしく接してくれて、勉強だけは人波に頑張れたような気がします。
そんな毎日を、中学部、高等部と過ごしました。
学校を卒業してからずっと内職をしています。
20才頃までは、家に閉じこもってばかりの毎日でした。自転車で5分くらい行けば、本屋さんがありますが、そんな近くでさえも出かけることはありませんでした。欲しい物があると、自分で行くのではなく、母や姉が出かける時に頼んで買ってきてもらうという状態でした。
そのころ、いつも思っていた事があります。それは、私がこの先、どうなるのだろう。という事を時々、考えていました。
卒業してから、生理不順だったので個人の婦人科へ行って治療しました。その時、そこの先生から、私の肌を見て「皮膚科へ行ってみたらどうかね」そう言われました。家に帰って両親に相談してみました。小学校2年生の時に名古屋大学病院へ行く前にも、両親は私を連れて色々な病院へ行ったんだよと教えてくれました。色々な話をしていたら、まだ、「中京病院には行ってないから、行ってみたら?」といわれました。難しい病気なので、初診だけ両親に連れて行ってもらいました。次からは、21才で大人の仲間入りという事もあって1人で行くことにしました。でも、今までバスにも電車にも、タクシーにも、1人で外を歩いた事がない私は電車やバスに乗ると、子供のようにわくわくした気持ちが、1人で行き始めた頃にはありました。
中京病院へ通院して、2ヶ月程過ぎると、外見では少しずつ良くなっていき、落ち着いてきました。
その頃、6才違いの姉が「一緒にミュージカルを見に行こうよ」と誘ってくれたのです。
私が19才の時に、姉夫婦と一緒に暮らすことになりました。でも、その頃、姉は子供に手のかかる時期だったので、話すことはあっても2人だけで出かけることはありませんでした。
姉は私が幼い頃からずっと、私の病気の事や内向的な性格をいつも気にしていたそうです。
そんなわたしの性格を明るくしようという思いから、私を連れて、コンサートやミュージカルなど色々な所へ連れて行ってくれました。
同じ頃、中1の時に声をかけてくれた同級生の女の子から「同窓会へ行こうよ」と電話をくれました。それをきっかけに、4人の友達と出かけるようになりました。
姉と4人の友達のお陰で、知らない間に明るい性格になっていました。
また、皮膚の乾燥が始まると手でひっかき、下着に血が付いているという毎日が続きました。
そんな時に、新聞の折り込みチラシで中野薬房さんを知りました。その時はチラシを読んで自分の引き出しに入れておきました。もう少し様子を見て、症状が変わらなかったら、中野薬房さんへ行こうと思ったからです。
中京病院へ通院し始めて、ちょうど4年が過ぎた頃、話を聞くだけでもと思い、中野薬房さんへ行ってみました。中野先生は親切に色々なことを教えてくれました。何より嬉しかった事は、中野先生が私に言ってくれた言葉でした。「今よりも絶対によくなりますよ」
病院では、一度も聞いたことのない言葉です。中野先生は、飲み薬や塗り薬の他に、言葉のくすりもくれる患者さんのことを考えている優しい先生だなあと思いました。私は、その言葉に励まされています。
私は、中野先生の話を聞いていたら、私の病状は今のままなら変わらない、それとも今より酷くなる、どちらにしても今よりは軽くならないなあと思いました。そんな気落ちがあって、中野薬房さんへ通うことにしました。
それに、病院では、4年間ずっと一つの治療法をしていました。中野先生の所では色々治療法を試してみたいという気持ちもあったからです。平成9年11月下旬から中野薬房さん通い始めています。
目の乾燥がないこと。風邪がそんなに酷くならない事。手のひび割れが少なくなったこと。22才の時に中耳炎を起こしてから、耳鳴りが酷かったけれど、耳鳴りが軽くなってきたこと。21才の頃から、夜ふとんの中へはいると、腰が痛くて眠れないほどでしたが、今は痛みが少なくなったこと。顔色が良くなったこと。手や足の冷えがなくなったこと。
私自身、2ヶ月ちょうどでこんなに症状が変わって驚いています。症状が変わっていく肌を見ていると、嬉しいです。でも、どれくらい先になるか分かりませんが、中野先生から言われている好転反応が、不安でもあります。
私の病気はアトピー性皮膚炎とは違いますが、アトピー性皮膚炎の方達の体験を読んでいる内に乗り越えられるような気がします。
私は25年間この病気と共に過ごしてきました。治らないと思っていてた私の病気が症状が軽くなると思うと、涙を隠さずにいられない程の嬉しさです。やっと信頼出来る先生に出会うことができて本当に良かったと思っています。20才の頃の私は病気で生まれた事に対して悲しい気持ちがありました。
でも、最近では「神様は病気を通して、色々なことを私に教えて下さる」そう考えるようにしています。
それに、世界中には、視覚、聴覚、身体障害者、心臓病など様々な病気をかかえた方達がいます。
私は行きたいところ、見たいものがあれば、自分で歩いて出かけることができます。それに、入院するほど病気がひどくならずに、普通の生活が出来て良かったなあと思っています。
改めて、そのような事を考えると、幸せを感じます。
今、私は両親、姉、学校の先生、病院の先生、友達、中野先生色々な方達に助けられ、ここにいられることに感謝します。症状がもっと軽くなるには、時間が掛かると思います。
最後になりましたが、私と同じ病気で悩んでいる方達の力になればと思い、ペンをとりました。
これからも、よろしくお願いします。
匿名 25才 女性

